植田修平
1991年1月21日生まれ
千葉県銚子市出身
2010年に専門学校に入ってトレーナーとしての人生をスタート
2012年大手フィットネスクラブ入社
2016年 独立しボディメイクジムRight gymをオープン
2018年 2店舗目となるフィットネスジムGreen gymをオープン
植田:3年生になって引退になったんですけど、受験勉強はせずに遊んでたんです。そしたら担任の先生には「行く学校がないよ」って言われて。
菅田:そこまでか!って思うよね?
植田:行く学校なんてあるだろって思ってたんですけど。
9月に運動会があって走ったら、やっぱりそこそこ速かったんですよね。それを見た陸上部の先生から、冬の駅伝に出て欲しいって言われたんです。3年生の秋だから部活関係ないんですよね。そっから走り始めた
で、結局高校はスポーツ推薦で行くんですけど、バスケ部ではなく陸上部で行ったんです。
菅田:3年間バスケ部だったのに!!(笑)
植田:記録会に出て、割といい記録出したんで推薦で高校に。これは多分異例のことだと思います。
菅田:そんなことあるんだなー(笑)
植田:高校は陸上部の仲良かった子が、陸上のそこそこ強い私立の学校に行くっていうんで僕も行くことにしたんです。
僕はもともと1500メートルだったんですけど、いろいろあって400メートルに転向して。
とにかく必死で練習しました。もう地獄で、今でも夢に見るぐらい。
菅田:400とか800ってあんなにえげつないものないじゃないですか。400だとほぼ無酸素でしょ?
ゴリッゴリに走ってなんぼ、っていう。。。トレーニングっていうとどんな事をやるんですか?
植田:やってたのは200メートルを10本。400メートルトラックを200メートルダッシュして200メートル歩いて、次休みなく行け、みたいな。
菅田:うわぁすげーな。。。
植田:それを10本やるんですけどホントにキツいんで、多分これ本能なんですけど、ちょこちょこサボってたんですよ。死んでしまうから。
菅田:抜きますよね、それは。
植田:それに対して怒られるんです。でもひたすらそういう練習を続けて。
3年生くらいになると他校とも交流が出てきて練習法を聞くんですけど、僕らよりもメニューが軽かった。でも他校の方が速かったりして。
菅田:あれ?マジで!?
植田:陸上の雑誌で成績の良い学校の練習とか見ても、練習量は僕らの方が上なんです。でも、タイムが全然動かない。
元々そこそこの選手を拾ってきてるのに、あんまり速くなってなかったり。
菅田:ふーむ。。。てことは、その練習方法がダメだった、ってことですよねぇ?
植田:結論を言うとそうなんですけどね。
僕は反抗的だったので顧問の先生に「この練習は意味があるんでしょうか?」と。
そしたら「俺は色々勉強してるんだ」って返されちゃって、でも疑問は残って。
菅田:残りますよね、だって結果がついてこないんだもんね。
植田:必死にやってるのに、自分が思うような成績が残せないまま引退。
その当時の僕は今と性格が違って、自分のことを天才だと思ってたんです。この程度の成績で終わるわけがない!と。
菅田:あー、大事大事!分かる。
植田:大学に行こうと思ったんですけど、親に何がしたいのかって聞かれて曖昧な答えを出したら拒否されて。結局就職したんですけど、やりたくもないことだったのでちょっとメンタルを病んでしまって。
ちょうどその頃中学の同級生が専門学校に行くと言って。それがトレーナーの学校だったんです。
菅田:はー。ここで今につながってくるんだー。
植田:その時に頭の中にうかんだのは「あの練習は正しかったのか?」っていうことで。それを知りたい、っていう欲求だけで専門学校に。
菅田:それってすごく正しい欲求ですよね!自分がいい成績を残せなかった原因は練習方法にあったんじゃないか、っていう疑いを晴らしたかったんだ。
で、その専門学校ではどんなことを学ぶんですか?
植田:陸上のコーチになりたかったのでそれを学ぶために行ったんですけど、やっぱり採用枠が狭いんですね。
なので勉強するのは一般の人向けのトレーニングだったり、体の機能の生理学とホルモンの話、解剖学。骨と筋肉の話です。あとは栄養学を学んで、実践的なこともやりましたね。
菅田:実践というのは、どういう?
植田:トレーニングですね。トレーナー自身がトレーニングして実際に効果が出てないと人には教えられない。
そしたらハマってしまって。最初のコーチになりたいっていう目的が飛んで、筋トレしか頭になくなっちゃって(笑)
菅田:筋トレおもしれー!になっちゃった(笑)
植田:どうやったら身体がデカくなるか?しか考えてなかった。19歳からの4年間はホントそのことしか考えてなかったです。
菅田:うわー。極端だなー(笑)面白い!
掲載されている情報はインタビューが行われた2018年8月末時点での情報です。
菅田 直人
ミュージシャン(ドラマー)/1979年生まれ
高校時代に吹奏楽部に所属し、打楽器全般に触れる。
大学サークルでドラムに専念し、様々なバンドを掛け持ちする。
2001年よりバンド「ズボンドズボン」に参加。
2014年の解散までに多数のアルバムとライブDVDを発表。
同時並行してサポートドラマーとしての活動も開始。
主なサポート歴はRAGFAIR、小池徹平、°C-uteなど。
https://sugata-naoto.com
写真撮影 柳田隆間/Patty&Isaac.
編集・デザイン 柳田隆間/Patty&Isaac.
https://patty-isaac.com