植田修平
1991年1月21日生まれ
千葉県銚子市出身
2010年に専門学校に入ってトレーナーとしての人生をスタート
2012年大手フィットネスクラブ入社
2016年 独立しボディメイクジムRight gymをオープン
2018年 2店舗目となるフィットネスジムGreen gymをオープン
植田:専門学校卒業する時に、トレーナーとして教えるスキルもそうですし、筋肉つけるにはどこのジムがいいんだろう?と思って選択したのが◯◯ジム(最大手のスポーツジム)だったんです。このジムに就職しまして。
どうやって身体を大きくするかをずっと考えて、やったことをお客さんに教えるっていう。実践して効果があったことなので正しいことには間違いない。
菅田:その結果がこれです、って言えるもんね。「検体」みたいなもんだ。
そのジムにはどのくらいいたんですか?
植田:3年目に辞めましたね。その頃くらいから、このジムにいても自分がこれからトレーナーをしていく未来が見えないなって思い始めていたんですよね。
ボディビルのトレーナーでレジェンドと呼ばれているような50代の方がいらしたんですけど、トレーニングのし過ぎで怪我をしてたんです。
菅田:えーっ!そんなことあるんだ!それってどういう状態なの?
植田:トレーニングし過ぎで腕の筋肉が断裂してたりとか、股関節がおかしかったり。現役引退してると支える部分が弱くなってくるんで、もともとの筋肉量も少なくなってくるんです。
そうするとガタが出てきて身体がうまく動かなくなってくる。ボディビルを極めたはいいけど、健康的じゃないと思って。
菅田:うーん、確かにそうですよねぇ、身体壊しちゃってるんだから。
植田:ふと身体を鍛えまくったこの4年間を思い起こしたんですよね。このままいくと身体を壊すだろうなって。しあわせになれそうにないからもういいかなって。
実家が自営業なので、健康維持のためにトレーニング機材一式を買って、家業を継ぐつもりで帰った。
でも実家の仕事が嫌で、1ヶ月で逃げるんです。
菅田:よぉサボりますのぉ(笑)
植田:その頃、仕事は自分の好きなことをしたいと思ってたんですが、父に聞いたら「仕事なんて楽しいと思ったことない」って言うんですよ。生きるためにやってる、と。
菅田:まぁ、そういう部分はありますよね。
植田:今だったらちょっと分かるんですけど、その当時は何を言ってるんだ!?と。自営で定年がないですから、70、80までつまらないことをやらせるつもりか?と。それで逃げまして。
改めてトレーナーがやりたいなって思って、パーソナルジムに入ります。マンツーマンで指導するようなジムです。
菅田:結果としてそのパーソナルジムからご自身のジムを立ち上げますよね。
どこかに所属することを辞めて、独立したわけじゃないですか。ずいぶん大きな変化だと思うんですがどういう経緯だったんですか?
植田:1対1のジムは食事管理から全部、その人の生活スタイルを変えていく必要があるんですね。2ヶ月あれば痩せるんですけど、僕の監視が終わったらその人の生活スタイルに戻るので、結局身体も戻っちゃうんです。それに自分の能力の無さを感じて。
菅田:その責任が自分にあると思ったわけだ。
植田:もっと言ってあげてたらその人の人生は変わってたかもしれない。痩せたくて来ているのに、一瞬だけ痩せさせてまた元どおりにさせてしまった。
菅田:お金もかかってるしねぇ。
植田:時間とお金の無駄だなってすごく感じたので、パーソナルジムの代表と話をしたんですけど、向こうは経営の立場なので方針を変えてくれることはなかったんですね。
そうなってくると、何でこんなことやってるんだろう?っていうのがどんどん積もって来て…。
菅田:あー…。この人のために必要なことが本当はあるのに、それが会社の方針としてできないっていうジレンマがあるんだ。
植田:そうですね。その時期自分や仕事に向き合う時間が多くて、何をしたいんだろうかって考えるようになって。で、自分は陸上を教えたいからトレーナーを始めたんだっていうのを思い出したんです。
じゃあ今のジムにいて、それに繋がるかって言ったら繋がらない。
自分が思った通りに物事を進めていくにはもう自分でやるしかない、っていう選択。
菅田:そういう追い込み方になったのね。
植田:これやらなかったらトレーナーやめよう、やるしかないだろう、と。
自分の考えているジムはお客さんに求められているものだ、これでやれば大丈夫!という浅はかな考えでジム出しちゃえって。
菅田:すごいスピード感ですよね、色んなことがドンドン決まっていく感じがする。
植田:色んなことを求めてるんだと思いますね。なんとなく会社にいて、なんとなく給料もらえてって一番つまんないんじゃないかと思って。
菅田:自分がやりたいと思うものを、やれるのであればどんどんやった方がいいと。
植田:それで失敗したら自分のせいだし。「上手くいかないのは上のせいだ!」っていうのを僕は高校生の時に味わったので。
菅田:確かにー!そうかー!
植田:それで嫌なんですよ。だったら自分でやってみて失敗したら自分のせいにしたい。どこかに属して何かやるというのは、今の僕にとって最終的な選択ですね。
掲載されている情報はインタビューが行われた2018年8月末時点での情報です。
菅田 直人
ミュージシャン(ドラマー)/1979年生まれ
高校時代に吹奏楽部に所属し、打楽器全般に触れる。
大学サークルでドラムに専念し、様々なバンドを掛け持ちする。
2001年よりバンド「ズボンドズボン」に参加。
2014年の解散までに多数のアルバムとライブDVDを発表。
同時並行してサポートドラマーとしての活動も開始。
主なサポート歴はRAGFAIR、小池徹平、°C-uteなど。
https://sugata-naoto.com
写真撮影 柳田隆間/Patty&Isaac.
編集・デザイン 柳田隆間/Patty&Isaac.
https://patty-isaac.com