記念すべき第1回は土屋礼央さんにお願いしました。
ズボンドズボンの一員として15年近くバンド活動を共にした仲間で、今や家族ぐるみのお付き合いもある土屋さんですが、じっくり彼自身の話を聞いたことはこれまであまりなかったかも…。
子供の頃の話や仕事の話、生き方に関わる話まで、これを機会にたくさん伺いました。全六回でお届けします。

土屋礼央
1976年9月1日生まれ。 東京都国分寺市出身。 RAG FAIR として 2001 年にメジャーデビュー。 2011 年よりTTRE をスタート。 RAG FAIR、 ズボンドズボン、 TTRE 楽曲の多くの作詞作曲を手掛ける。鉄道、 Apple、 FC 東京、 西武ライオンズを深く愛する。 ニッポン放送「土屋礼央レオなるど」/FM NACK5「カメレオンパーティー」にてパーソナリティを、ニコニコ生放送「西川学園高等学校、略してN高!」でMC、Livedoorニュース「土屋礼央のじっくり聞くと」でインタビュアー、マイナビ「Mac Fan」/晋遊舎「MONOQLO」/KADOKAWA「ダ・ヴィンチ」/月刊LIONS MAGAZINE/日経DUALにて連載を務める。

土屋礼央

菅田:「四十歳の地図」ということで、第一回は是非、土屋さんにお願いしたいと思いまして。

土屋:嬉しいです、ありがとうございます。

菅田:あのー、僕、土屋さんのことをすごく知っているようで、実は知らないことが多いんじゃないかって(笑)

土屋:ショックだなぁ。

菅田:(笑)だからもう、最初っからいろいろなお話を伺っていこうと思っております。

土屋:はいはいはい。

菅田:早速ですが「音楽ってすごく面白いなー」って思ったきっかけってなんだったんですか?

土屋:幼稚園じゃないかな。

菅田:あ、幼稚園なの?へえええ。

土屋礼央×菅田直人

土屋:幼稚園の音楽は地元の児童合唱団の先生がやってて、幼稚園を卒業するとその合唱団に入るというのが、自然な流れで。
ハンガリー公演もやるような結構大きなところで。

菅田:そんなところだったんだ!

土屋:実際ちゃんとやったのはその合唱団が一番最初。

菅田:ルーツは合唱団だったのかぁ。

土屋:中学2年生までやってました。無伴奏のやつ。要するにアカペラですよ。

菅田:無伴奏とはまた珍しい!

土屋:無伴奏のハンガリー音楽。冷たいもの飲んじゃダメっていう結構スパルタな合唱団で、合宿では一日中歌練をしてた。

菅田:ほんとにガッチリやるところだったのね。

土屋:これがスタートじゃないですか。ハモることはここから来ている気がする。

菅田:合唱団で音楽に触れていたとは思うんだけど、テレビやラジオで聴く音楽ってあったじゃないですか。なんか意識して聴いてました?

土屋:いや、結構普通よ。
ラジカセでFMのトップテンかなんか録音して。CDレンタルしたり。

菅田:あぁ、そうでしたねあの当時は。

土屋:でも普通に聴くぐらいで。誰かに憧れて、とかなかった。
んで中学一年の時には勝手に頭の中で曲を作ってて、「うわ、これ売れるわ。音楽しかないわ、オレ」って思ってた。

土屋礼央×菅田直人

菅田:そう思えちゃうのがすごいよ。
ところで、ご両親は共に素晴らしい画家(お父様は日本画家の土屋禮一氏、お母様は絵本作家のつちやゆみ氏)じゃないですか。
当時ご両親のお仕事を見て「この仕事、俺もやるのかなぁ?」とか思ったりした?

土屋:いや、一切ない。

菅田:へぇぇ!なかったんだ!!

土屋:イヤなことしかなかったですよ。銀座と上野の往復みたいな生活だったから。展覧会の付き添い、美術館の付き添い。。。
旅行に行くのも、親父の写生の付き添い。

菅田:ははぁ。。。じゃあ画家って仕事に対するいいイメージはなかったわけだ。

土屋:いいイメージというか、自分自身がそれをやるなんて思ったことなかった。
中学ぐらいの頃って細かい絵を描きたがるじゃないですか、写真みたいな。
みんな細いペンで描くんですよ。うちの親父も筆たくさん持ってるんで、俺にも細いペン買ってくれって言ったら
「いやそれは違うよ、太いペンで細く描くのが味だ」
って。

菅田:それは大変だ(笑)

土屋:授業で空の景色を描く。提出する前に出来た絵を見せたんですよ。空だから青色で描いた。

菅田:まぁそうなりますよね。

土屋:そしたら
「空を青色で描くなんてもったいない。この空をお前の心ではどう見えるかを描けるのが絵だ。」
って言われて。

菅田:ははぁ。。。

土屋:ま、深すぎるんです、中一には。

菅田:真理なんでしょうけどねぇ(笑)

第1回 ミュージシャン・ラジオパーナリティ土屋礼央②につづく

掲載されている情報はインタビューが行われた2018年6月末時点での情報です。

菅田 直人
ミュージシャン(ドラマー)/1979年生まれ
高校時代に吹奏楽部に所属し、打楽器全般に触れる。
 大学サークルでドラムに専念し、様々なバンドを掛け持ちする。
2001年よりバンド「ズボンドズボン」に参加。
 2014年の解散までに多数のアルバムとライブDVDを発表。
同時並行してサポートドラマーとしての活動も開始。
主なサポート歴はRAGFAIR、小池徹平、°C-uteなど。

https://sugata-naoto.com

写真撮影 柳田隆間/Patty&Isaac.
編集・デザイン 柳田隆間/Patty&Isaac.
https://patty-isaac.com